さよなら 阪神パーク

現在の阪神パークと動物たち





その後の阪神パーク〜閉園まで
昭和50年代になるとレジャーの多様化から入園者の数が減少してきました。
特に昭和56年(1981年)のポートピア81(ポートアイランド博覧会)による影響は大きく、ポートピアランドの開園など、 大型遊戯施設、絶叫マシンが人気を集める中で、阪神パークは他の遊園地と比べて時代とともに取り残されて来た感じがします。 入園者は年々減り続け、周辺の大型遊園地との差別化を図るため、平成3年(1991年)には遊戯施設を幼児向けに大幅リニューアルし、 イベント内容も幼児向けとなりました。 特に「にこにこぷんショー」は大人気で、あまりの入場者の多さに急遽会場をちびっこ広場からデラックスプールサイドに変更させるという出来事もありました。
しかし、1995年の阪神大震災では園内の液状化など施設に大きな被害を出し、震災から以後、半年間の休園を余儀なくされます。 復活後は入園料を大人・子供一律500円に値下げして再開させたものの入園者数は震災以前の数にはならず、 また、他遊園地との競合もあり、大型遊戯施設を撤去するとともに動物も小動物に縮小し、 平成9年(1997年)3月には、遊園地と住宅展示場を一体化させた遊園施設複合型住宅展示場としてリニューアル。 昭和25年以来使用してきた名称も「阪神パーク甲子園住宅遊園」に改称し、入場料を無料とする思い切った策を採り入れます。
しかし、入園者の減少には歯止めがかからず、2000年には冬期のスケートリンクを廃止。 さらにユニバーサルスタジオのオープンもあり、阪神パークを運営する阪神電鉄は2002年4月になって遊園地事業を継続することは困難と判断。 2003年3月30日限りで阪神パークは前身の甲子園娯楽場から数えて73年の歴史に幕を閉じることになりました。
動物たちはどうなるの?
閉園したら動物たちはどうするの?そこが一番気になるところ。
すでにキリンは天王寺動物園に引き取られており、 猿山にいた猿たちも、韓国の動物園に移され、愛らしい風貌をしたシカ科のキョンの一部は三重県の日本カモシカセンターへ引き取られています。 そして昭和25年から阪神パークに住む一番の長老である2頭のゾウ「キクコ」と「アキコ」は千葉県市原市にある 市原ぞうの国で、その余生を送ることが決定しています。



キリンのいないキリン舎、猿のいない猿山。キリンの「ダイチ」は昨年春に天王寺動物園へ、ニホンザルは韓国へ引き取られていきました。



1頭しかいない…と思ったら、もう1頭は「ゾウさんのオウチ」に入っていました。


でも、なんとかして「キクコ」と「アキコ」のツーショットを撮りたいと思って
後日、また阪神パークを訪れました。その結果、なんとかうまく撮影できました!


愛らしいキョン


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