かもかもラーメン食べ歩き

《京都府版-3》

2003年12月19日更新


これまで私・かもねぎが過去12年間に食べに行ったことのある京都府内の情報です。
中には閉店してしまった店もあるかと思いますが、その辺の情報がわからないため
そのまま普通に掲載してます。行ったが店は無かったぞ…等の文句は言わないでね。


〜 京都市内…左京区・北区 〜



  

新ます(樽八)
(京都市左京区百万遍交差点上ル)

百万遍交差点から北へ2筋目を右に入ってすぐにある「新ます(しんます)」という店。 表向きはラーメン店ではなく居酒屋。実は夜は居酒屋「樽八」として営業し、 昼間は中華そば屋「新ます」になるのです。(11時〜15時)
店に入ると入口に調理場があり、おっちゃんが「並ですか〜?」と聞いてくるので 「並で…」と言い、長いカウンターに座ってラーメンが出てくるのを待つ。 しばらくしてお姉さんがラーメンを持ってきてくれる。 メニューと価格は、中華そば…(並)600円、(大)700円、チャーシューメン…750円、 幻の中華そば…1000円など。
少しコッテリ気味で背油が入ったスープなど、まさしく銀閣寺近くにある「ますたに」の味。 半熟具合も丁度いい味付け玉子も美味しいけど、少々塩味がキツイ。 幻の中華そばは、チャーシューや肉がさらに盛られて、スープも他の中華そばとは少し違っているらしい。
ところで「新ます」の「ます」は「ますたに」の「ます」と一部で言われてるけど、ますたにとの相関関係は??

【交通アクセス】…京阪出町柳駅から東北東方向に徒歩12分。バス利用の場合、京都駅から206系統東山・百万遍経由北大路バスターミナル行、北大路バスターミナルから206系統百万遍・東山経由京都駅行、四条烏丸・四条河原町から3系統北白川仕伏町行、31系統・65系統岩倉操車場行に乗車し「飛鳥井町(あすかいちょう)」下車。

2003年11月29日の食べ歩き

上の写真…中華そば600円

  

ラーメン日本一
(京都市北区)

すっごい久しぶり、10年ぶりに訪れました。 この店によく通っていた頃の過去の懐かしい話は過去に行った店の京都編に書いてある通りです。
店の雰囲気は10年前と変わらず。ただ、声のでっかい威勢の良い店主の姿は無かった。 引退したんですかねぇ??
ド根性ラーメンは避け、普通のラーメンにしときました。 値段の割には具も多いし、久しぶりに食べた日本一のラーメンは美味しかったです(^^)
そしてお勘定はやはり昔のまんま自己申告制でした。

2003年7月26日の食べ歩き

  

タンポポ
(京都市北区)

タンポポと私との出会いは95年。 何で知ったかは忘れてしまいましたが、仏教大学近くにウマイ店があるというので行ったワケ。 一面にふりかけられた一味唐辛子にはピックリ。ところがそれほど辛くないのにまたビックリ。 以来、虜になって何度も通ったけど、ここ4年ほどご無沙汰してました。ひさびさの来店です。
シャキッとした九条ネギも美味しいし、スープも以前と変わらず。 ただ、麺がブヨブヨでございました…。

2003年5月17日の食べ歩き


はせ川
(京都市北区)

北大路堀川バス停を降りて少し歩いたところにある「はせ川」は去年7月にオープンしたとのこと。 珍しい『塩坦々麺』を出す店として注目されてます。まだ食べに行ったことがなかったので出撃〜。
塩味をベースにした坦々麺、どんな味やら〜と思ったけど、 塩ラーメンに少しピリ辛に仕上げた肉味噌が入っているだけのものだった。 辛さはあまり感じないし、坦々麺というイメージは全く無し。 それと、炙りチャーシューはガスコンロで一つ一つ炙ってました。

2003年5月17日の食べ歩き



唐 子
(京都市左京区)

時間を置いてからバスで東山二条へ行き、夜7時過ぎに唐子へたどり着きました。 この店はかつては人気店だったのに、私が食事している間は客一人だけで誰も来ない店になってしまってた。 私も99年頃に一度だけ行って以来4年ぶりに来たのだけど、以前に来た時とは違って店に活気もなく、 ラーメンの味もなんか単調だし、以前に感じたオオオッとくるようなインパクトもなくなっていた。 不味くはないんだけど…。
写真は「唐子ラーメン」…600円

2003年5月17日の食べ歩き








過去に食べてきた店







〜 京都市左京区の店 〜





天天有
左京区一乗寺
いつ頃だったかな。私が東京を引き払って関西に戻って来た頃だと思うので、 時期的には1990年以後だと思う。 テレビを見ていて、天天有が紹介されていた。 見ていてすごく美味しそうだったので晩に電車とバスを乗り継いで一乗寺まで行くとすごい行列。 回転率も早く、一人で来たこともあってそれほど長い時間並ばずに済みました。
思ったとおり美味しい。これ以後、すっかりと天天有の虜となってしまいました。
以後、2〜3ヶ月に一度の割で行くようになります。 93年頃には、当時アクセスしていたパソコン通信のネットの人たちと、 深夜ドライブを兼ねた京都や奈良のラーメン屋巡りを数ヶ月に一度ほど実施し、 京都では天天有か天下一品の本店のどちらかは絶対外せないってくらい巡回予定店に盛り込んでいました。
また、93〜94年当時付き合っていた(今現在はただの女友達として親交中〜) 彼女が京都市内在住で、 一人暮らししている彼女の部屋へ遊びに行った帰りには、たまに天天有へ立ち寄っていました。 彼女はラーメン好きではなかったので、彼女と一緒に天天有へ行ったのは一度か二度くらいしかなかった気がする…。 まあとにかく、天天有は私のラーメン食べ歩き人生には語らずにはいられない店です。
兵庫のラーメンページを開設してからは兵庫県内の店巡りがメインとなってしまい、 京都のラーメン屋もたまにしか行かなくなってしまった。 天天有もしばらくご無沙汰だったけど、2002年8月にブイヨンさんと名古屋爆食ツアー行く前に、 久しぶりに天天有へ行きました。懐かしいあの味は全然変わらず!!、カンゲキです。 …という間に1年が過ぎようとしているのでした。またそのうちに行って懐かしさ噛みしめながらあのラーメン食べたいです(笑)。
(最終来店…2002年8月)


珍遊
左京区一乗寺
ずいぶんと前、京都の一乗寺に「珍遊」というお店があった。 それはそれは美味しい店だったとのこと。 現在の珍遊は経営者が変わり、味も変わったと昔を知る人は言うけど、 私は昔の味を知らないので、今のこの味でも十分に満足。
ところで、芦屋にある「珍遊」と、この珍遊との関係はあるのかというと、直接的な関係は「ない」とのこと。 この一乗寺に昔あった珍遊の経営者と芦屋の珍遊の経営者とがなんかしらの繋がりがあるということを聞いたけれど…。 (最終来店…1999年)


天下一品・総本店
左京区一乗寺
天天有とともに、ここも私のラーメン食べ歩き人生で語らずにはいられない店。
私がラーメン食べ歩きに凝りだした第一歩が天下一品だと言っても過言ではありません。 店は大阪池田の石橋店(今は無い)。それ以後、梅田北新地、西大路九条、 北野白梅町と食べてきて、夢だった(というと大げさ)北白川の本店へ行ったのが92年。 それほどラーメン通ではない人たちが「やっぱり本店の味は違うで…」と自慢げに語るので、 それでは食べに行こう…と、車2台に分乗し、神戸から京都まで阪神高速+守口から国道1号を突っ走り、 途中、枚方から合流する知人を乗っけて一路・京都・北白川まで向かう…。
時間はすでに午後11時を回っていたと思うけど、なんと店内は満席だった。うーむ。 我々、なんとかテーブル席2つに分散して注文をする。 愛想の良くない女店員が「あっさり?こってり?どっち?」「ニンニクは?」と聞く。 とりあえず、コッテリ・ニンニク入り、それとネギ多めにしてもらう。 うーむ。なかなかの味。しかし、他の店(石橋とか北新地とか)と比べて美味しいのかどうかはわからなかった。 その時に一緒に来た連れは、1杯だけでは足りないと、店を出てから一人でまた食べに入りました。 こいつ、そんなに食べるヤツでもないのに、ちょっとビックリ。 ヤツ曰く「2杯食べたいと思ったのってこれが生まれて初めてだった」と本人カンゲキ…。 以来、京都へ食べ歩きに来た時には外せない店となりました。
最後にこの店へ来たのは2001年7月。あれから2年も過ぎてしまったか…。 その時に一緒に来た知人は普段そんなにラーメンは食べず、コッテリしたラーメンは受け付けないのだけど、 (一緒に無鉄砲へ行った時は玉砕していたし…) しかし、天下一品はOKだという。 (最終来店…2001年7月)


高安
左京区高野
こちらの店主・高安さんとは京都ラーメンマップの一乗寺でのオフ会で一度面識があり、 オフ会の数ヶ月後の2001年11月に、友人たちとの京都観光ついでに数人で食べにいきました。 ピークを外して昼前に行ったら、もう店内満席で数人の待ち。 私たちより後に来たグループは、雑誌片手で見るからにおのぼりさんの出で立ちで並んできた。 場所は東大路通りから一本西の細い道沿い。こんなところでもお客さんが集まるのだからたいしたものです。
あっさりとしたトンコツベースのスープで、とてもまろやかな味わい。帰り際、また来ます〜と言いながら 2年近く来てなくてスイマセン(^_^;) (最終来店…2001年11月)


あかつき
左京区北白川
あかつきの店主とも、京都ラーメンマップのオフ会でお会いしたのですが、 実は、このあかつき、私は7〜8回ほど食べに行ってました。 94年の秋だったと思うけど、いつものように天下一品の総本店へ行く途中、 「あかつき」という店がオープンしていたのに気づく。 知人で、すぐそばに下宿していた京大生の話によれば、結構いけるらしい。 で、早速食べに行くと「うまいや〜ん」。
私があかつきにハマったことは味以外にリーズナブルさでした。 ラーメン1杯は500円で、まあ94年当時はその値段で出している店はザラでしたが、 チャーシューメンは600円で、麺の大盛り(2玉)はプラス50円でOKという。 これにはカンゲキして、よく通いました。 オフ会の時に聞いてみたら、今もそのままの値段だとかで…。 開店以来、値上げ無しで続けているというのもカンゲキです。
しかし、94〜95年はよく通ってたものの97年以後はご無沙汰…。 オフ会の時に「また伺わせて頂きます」と言いながらまだ行かずにおります。(^_^;) 何度か店の前を通ってはいるのだけど、そのたびに行列があるもので…。 (最終来店…1997年)


味千
左京区下鴨
今は下鴨西本町へ移転してますが、私が行ったのは97年で府立大学近くの旧店舗時代。 当時の店はカウンターのみでとても狭い店でした。 味千というと熊本系ラーメン。熊本ラーメンを食べたのはこの時が初めてでした。 (最終来店…1997年冬)


一番星
左京区岡崎
ラーメン食べ歩きに凝りだしてから、関西や京都のグルメ本を集中的に読みあさり、 美味しい店の情報にはアンテナを張り巡らしていた93年頃、この一番星をグルメ本で見つける。 京都では割と古くから続いているようで、なかなかの旨さ。 午後8時で店を閉めるため、ここは我々の深夜のラーメンツアーには行けない店でもありました。 (最終来店…1994年)


東龍
左京区北白川
かの「あかつき」のちょっと北へ上がったところにある、北白川近辺のニューフェイス店。 私はこの東龍(とんりゅう)がどれほどの人気なのか知らなかったのだが、 関西ウォーカーのラーメンW杯の企画で、もと天一ファン氏と、 ラーメン友の会関西・ricchan氏と私と3人で食べに行った。 店に行くとすでに行列。人気店であることがうかがえた。 結構こってりした味…ということを元天氏から聞いていたけど、 それほどでもなくズズ〜ッといけました。 (最終来店…2002年)


ますたに
左京区北白川
銀閣寺近くの老舗として、京都のラーメンを語るには、 このますたには絶対に出てくるくらいに京都では有名ですね。 私も92年に初めて行って以来、あのこってりとした背脂のラーメンにはハマってます。 やはりココも早くに店が閉まるので深夜の行脚は無理。 朝は10時からやっているので、京都のラーメン屋巡りをする時は、 10時に行ける設定にしておけば効率よく巡れるでしょうね。 このあいだ夕方4時頃に行くと行列が無かったので「ラッキー」と思ったら、 店内に10人くらいの待ちがあった…。(^_^;) (最終来店…2001年11月)


横綱 高野店
左京区一乗寺
チェーン展開している横綱の中でもココが一番!!という人が多い横綱の店舗。 それが確かかどうかは、食べ比べてみないとワカラナイ。
横綱というと今はファミレスのように広い店舗に駐車場も併設したロードサイト型の店が多いけど、 ここはオープンから相当過ぎているようで、他の店舗と比べると狭いし駐車場も無し。 まあ、他の横綱の店舗と違って下町チックなところがイイかも。 私は一度行っただけ…。(最終来店…1993年)


山さんラーメン
左京区田中西高原町
1990年に知り合いだった韓国人が京都にやって来ました。 韓国の若者に絶大な人気のある詩人の尹東柱(ユン・トンジュ)が 昔住んでいたところへ行きたいというので、案内役ついでに行ったワケで。
ちなみに尹東柱というのは朝鮮半島が日本の植民地だった頃に同志社大学に留学し、 1943年(昭和18年)に治安維持法違反で京都下鴨署に逮捕され、 京都地裁で懲役2年の判決を受けるも1945年2月16日、27才の若さで福岡刑務所で獄死した朝鮮の詩人です。 私もこの韓国の知人にイヤというほど尹東柱の話を聞かされ、 さらに日本語訳された詩集まで購入して読みました。 で、この尹東柱が同志社大学在学中には左京区田中高原町の学生アパートに住んでいたのですが、 そこを訪ねたいということで私も同行。 ちなみにその場所には現在、京都芸術短大があり、アパート(武田アパート)は現存してません。
その帰りに近くの「山さんラーメン」を発見し、お腹がすいたので入りましょう〜ということで山さんラーメン行ったのです。 私は満足する味だったけど、韓国人の彼曰く『この味は韓国人には受けません』だと…。 (1990年来訪・95年最終来店)


一休軒
左京区鹿ヶ谷
佐賀県を源とする純豚骨ラーメンの店。京都には数少ない極細の麺。 スープもなかなかコクがあって私も結構ここのラーメンが好きです。 (最終来店…1997年)


らんたん
左京区聖護院西町
背脂醤油系が多い京都にあって、ここの店のはあっさり醤油のラーメン。 コッテリに慣れてしまうとこの味が物足りなく感じてしまうけど、 まあこれはこれで十分にイケると思う。 (最終来店…1996年)


百万石-[閉店]
左京区百万遍
百万遍にあった店・百万石。わりとイイ味を出していた店だったけど、 いつの間にか閉店。その後、珍満軒という店になったようですが、 珍満軒時代は一度も行ったことがなかった。その後、珍満軒も閉店したようですが、 行った人の話では、相当酷かったらしいが…。 (94年初来店・最終来店…1996年)






〜 京都市北区の店 〜



金ちゃんラーメン北山店
北区・地下鉄北山駅前
地下鉄北山駅すぐの場所にある金ちゃんラーメン。1度だけですが行きました。 チェーン店なのですが、味は結構…良かったような…。よく覚えていない(^_^;) (最終来店…1999年)


中華のサカイ御薗橋店
北区大宮東総門口町
上賀茂神社から西へずーっと行ったとこにある。 ここへ初めて行ったのは93年頃だったと思う。実は彼女の家のすぐ近くだったので、 当時は二人でよく行きました。 冷麺が大人気で、もちろん普通のラーメンもあるけど、やっぱり冷麺注文する人が多かった気がする。 私も2回に1回は冷麺でした。今思うとサカイのラーメンは印象に残っていないこと思ったら…。 (最終来店…1996年)


ラーメン日本一
北区北堀川
堀川北山の交差点から少し上がったとこ。 かの有名な日本一。何が有名なのかというと「ド根性ラーメン」ですね。 この店へ初めて行ったのは84年頃だったかと思う。 なんと私が高校生の頃なんですね〜。もう20年近く前。(そんな前なのかッ…) 当時から、ド根性ラーメンはありました。値段はいくらだったかは忘れましたが…。 高校の同級生の話で、京都にこんなラーメン屋がある…っていうことを聞いて早速…。 ちなみに当時の私はラヲタではなかったので、ただ普通に「物珍しさ」から友人たちと行ってみることにしただけでした。
ド根性ラーメンは2杯分ほどの量なので、中学生の時に食べた洗面器並どんぶりに入った4杯分のラーメンと比べても少ないから余裕で食べ切れました。 で、その上にド根性餃子まで注文して食べていた私なのでした。
このド根性ラーメンを20分で2杯完食すれば無料、40分で3杯完食すれば、 永久に飲食費が無料という特典があります。 短時間の大食い・早食いは私には無理なので、チャレンジしたことはありません。 店に貼り出されている成功者の名前とか見ていると、女性もいるんですよね。 それもアメリカかカナダかオーストラリアか忘れたけど、外国人の女性までも…。
とにかく、92〜3年頃まで日本一にはよく通っていたな〜。 ラーメン1杯だけ食べてもおなかいっぱいにはならない。 だからと言ってラーメン2杯食べると1000円くらいかかってしまう。 でも、ド根性ラーメンなら850円(当時の価格)。通常の2.5倍の量らしいので、 結構オトクだったのだ〜。私は、そういう計算式の上でド根性ラーメンを愛食していました。
でも店主が病気のためとかで一時期、営業時間が午後5時で閉店と短縮されていた頃があり、 定休日も多かったし、それからは私の足が遠のいてしまった。 何年か前から営業時間が昔のように午後9時までとなったのと、 土日も営業するようになったんで、そろそろ行こうかな〜と思って行ったら行列できていたりで…。 長時間並んでまで食べるのがイヤな私は、しばらく行けそうにありません。
ところで、この日本一のもう一つのすごいところは、お客さんに伝票を置かず、 精算の時は自己申告制だったのですが、その際、店主や店員さんが暗算してたのです。 ほとんどの場合、間違えません。 しかし、この自己申告制も一人や二人ならまだしも、4人家族が来て、 いろんなもの注文したら、その家族、いちいち覚えていないのでは…。 今もその自己申告制やってるんでしょうか?(最終来店…1993年)


タンポポ
北区紫野
仏教大学近く。 最近の食べ歩きにも書いてある通り、95年に初めて行きました。 以来、京都に来た時には何度か通っていました。
一面に振りかけられた一味唐辛子。一瞬あれはギョッとなってしまうけど、 辛さはそれほどでもなく、結構美味しくいただける。なかなかです。 (95年初来店・最終来店…2003年)


【店名不詳】
北野白梅町の西南西方向
場所は、北野白梅町交差点の西南西方向・一条通の一方通行沿いにある店。 前々からバスで何度か通りかかって気になっていた店だったのですが、 場所柄、なかなか立ち寄ることが出来なかった。 2000年の夏に、ブイヨンさんと関西愛ラの永井さんの3人で、滋賀・京都ツアーした時に、 ちょうどそばを通りかかって、私が前々から気になっていた店だから、 ちょっと立ち寄ってみようということで、立ち寄ったワケ。 味は、まずくはないけど、コレと言ったラーメンではないな…ってとこでした。 ところで店名は、なんて言うんでしょうか? インターネットタウンページにも出ていないみたいです。 まだ店があるのかも不明。 あああ、わからないままだと気持ちが悪い〜。
…というワケで、現地まで行ってみたところ店はなくなっていました。潰れた模様。 (2000年来店)




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