おてがみチョーダイ
このページでは、みなさんからいただいた情報および思い出話を紹介しています。
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「復讐浄瑠璃坂」の想い出
投稿者…荻野慶人さん    2000年8月21日
 誰方が作成されたか、素晴らしい「宝塚映画のリスト」を感動して眺めています。
 [49][50]の『復讐浄瑠璃坂』(第一部・第二部)で、二二歳だった私は助監督デビューしました。忘れることの出来ない作品で、出 版などはまだしていませんが、言わば自分史あるいは交友録の下書きの中盤で触れさせて頂いております。想い出を共有できる方々のため に、抜粋してお届け致します。
                           2000.8.20

 ……(前略)
                ◇

 念願のカチンコを打つ日が訪れた。あの歓喜を僕は今も忘れない。
入社して半年の研修期間を終えた十月であった。嵐寛寿郎、中村扇雀、扇千景、中村玉緒、大河内伝次郎…その他が揃う時代劇『復讐浄 瑠璃坂』(原作直木三十五、脚本竹井諒、加味鯨児〈寿々喜多呂九平〉、共同監督二川文太郎、並木鏡太郎)の前後編で、助監督のフォース となることが出来たのだ。源九郎判官義経に優るとも劣らぬと言われた主役の美少年を演じるのは、看板スター中村扇雀で、『海の小扇太』 『白井権八』に続く扇千景との共演でもあった。
 江戸時代の一六七二年(寛文一二年)二月二日、元下野宇都宮藩士である奥平源八郎(14)ら五十名が、市ヶ谷浄瑠璃坂の奥平隼人の隠れ 家に夜襲をかけ仇討ちの本懐を遂げた。四年前源八郎が10歳の時、藩主の二七日法要の最中に父内蔵允と隼人が家臣同士の刃傷沙汰を起 こした。これが事件の発端となり、内蔵允は自刃し隼人は山形に移遷され、喧嘩両成敗で両家は共に改易(江戸時代の刑罰で家禄を没収し 武士の籍を除く)となった。藩主の処置が隼人に有利だったため内蔵允の縁者たちに遺恨が残り、遺児源八郎たちは逃亡する隼人たちを宇 都宮から山形、江戸へと追跡した。
 赤穂浪士が吉良上野介義央を討ったのが一七0二年(元禄十五年)だから、主君の仇討ちと親の仇討ちの違いはあるが、恰度三0年前によ く似た復讐事件が起きたのだ。この事件も武士道の鑑として喝采され歌舞伎にも講談にもなった。映画は、大阪出身の作家直木三十五の 『仇討浄瑠璃坂』(1929年)を原作としていた。日本で最も権威のある文学賞は純文学の「芥川賞」と大衆文芸の「直木賞」と知られてい るが、文芸春秋社の社長で日本文学振興会を設立した菊池寛が、一九三八年(昭和一三年)に創設したことは説明するまでもあるまい。
 浄瑠璃坂を目指して追う源八郎方(中村扇雀、嵐寛寿郎など)と逃れる隼人方(岡譲司、徳大寺伸など)の二つのグループを、二人の監 督が別々に撮影してゆく面白い演出方法が取られた。数年後に観ることになるアメリカ映画『史上最大の作戦』(共同監督ケン・アナキン、 ベルンハルト・ヴィッキ、アンドルー・マートン、主演ジョン・ウェイン、ヘンリー・フォンダ、ロバート・ミッチャム…他/1962年)が、 第二次世界大戦の勝敗を決定づけたノルマンディー上陸作戦を連合軍とドイツ軍のそれぞれの軍隊にカメラを据えて撮った大ロケーション の、スケールの小さいものであったと言える。実はその撮影方法でないと前編が一二月一一日の封切に間に合わないという事情があったか らで、そんな二班編成が取られなかったら僕が助監督に起用されるのはもう少し後になった筈である。藤原捷郎も企画部に在籍のまま駆り 出されて並木班でカチンコを打つことになった。
 僕は二川班に所属し、宝塚近辺の山林は勿論のこと京都の古寺や琵琶湖湖畔のロケーションで泥まみれになるのは、研修期と全く変わら なかった。新米であっても正式の助監督に対する先輩や各セクションの叱咤は厳しかった。監督や先輩助監督やスタッフや出演者が四方八 方から一時に僕に用命するが、僕一人だけでは無理で他人の助けが必要なものもあれば即座に対応できないこともある。一0件のうち一件 や二件はころっと忘れてしまう。頭の巡りが悪くなったかと、大学を出てから始めた喫煙を止めたりした。草臥れて無意識のうちにセット の一隅に腰を下ろすと、軍隊経験のある先輩に「助監督は坐っちゃ駄目だ!」と怒鳴られる。
 しかし、夢見る二二歳は弾力に富み強靭だったんだ…と当時を想い出す。やがて再び喫煙を始めたし、監督やスタッフや出演者たちに 「荻やん」「荻ちゃん」と重宝がられるようになるのに月日はかからなかった。
 源八郎方が隼人方の隠れ家を襲撃するシーンのロケーションでのことだ。宝塚の奥に、その二年後に黒澤明監督も『蜘蛛巣城』(主演三 船敏郎、山田五十鈴/1957年東宝)のロケセットを築いた蓬莱峡という、峻しい崖に囲まれて渓谷が広がる景勝地がある。ここに藁葺きの、 農家のセットが組まれた。襲撃の最後は焼き討ちで炎上する演出プランで、屋内で火の粉を払いながら合戦する主要な出演者のアップショ ットは先に撮っておく。嵐寛寿郎のアップをカメラが狙っている。
「源八郎どの!」と叫ぶ嵐の顔の前に燃えさかる板切れを小道具係が二つ三つと落とすうちに、飛び火して藁葺きの天井が燃え上がった。
 「ロングを撮ろう!」と咄嗟に岡崎宏三カメラマンが叫んだ。スタッフは脱兎のごとく表に出た。頑丈な三脚ごと五0キログラムはある 重いミッチェルカメラを担いだ撮影助手のサード尾崎陽一郎が、狭くて急激な坂道を懸命に駈け登った。一方、指示したのは監督か助監督 か殺陣師か、いや殺陣グループの機敏な自発的行動だったような気もするが、抜刀した侍たち凡そ一00名が敵味方入り乱れて、まだ段取 りのついていない立ち回りを始めた。レギュラー出演者でないその日限りの端役は、誰が敵か味方か判らない。同士討ちは平気で、斬られても尚劍を振りまわす不死身もいれば、斬られもしないのに「ぎゃー !」と叫んで水流に転落する剽軽な侍もいる。炎上する農家周辺での激闘を崖の中腹から撮ったロングショットのラッシュプリントは支離 滅裂で、まるでドタバタ喜劇の様相に試写室は爆笑が止まなかった。その中から使えるショットを選び出し、改めて農家の一部を建てて撮 ったショットを編集で巧くモンタージュすることで、迫力あるシーンが出来上がったのは言うまでもない。尾崎撮影助手は無我夢中で何も 憶えていないと後で言っていた。通常カメラポジションを少し変えるだけでもチーフ、セカンド、サードの三人がかりでゆっくり運んでい るのに、まさに火事場の馬鹿力の実例が示されたのであった。
 『ひまわりとキャメラマン 撮影監督・岡崎宏三一代記』(石渡均編/1999年5月三一書房刊)は、一九三五年(昭和一0)一六歳で新 興キネマ大泉撮影所(現東映)に撮影技師の助手として入所以来、戦中、戦後を経て八一歳の今日まで現役を貫く名カメラマンを、後輩の 編者がインタビュー構成した貴重な日本映画史である。僕が学生時代に観た話題作『アナタハン』(監督ジョセフ・フォン・スタンバーグ、 主演根岸明美、中山昭二/1953年大和プロ・米国合作)のカメラマンであり、最近では『戦争と青春』(監督今井正、主演工藤夕貴、佐野 圭亮/1991年こぶしプロ・松竹)や『GAMA・月桃の花』(監督大澤豊、主演朝霧舞、川村慈英/1996年こぶしプロ)など所謂社会派の 撮影監督である。去る六月一一日は恒例の「川島雄三忌」で昔のままに健やかな岡崎と五年ぶりに顔を合わせ、「並木鏡太郎さん(97)お 元気のようだよ」「先日宝塚で土肥可典さんに会った」と近況遠況話題は尽きなかった。『…一代記』でも驚いたが記憶力の緻密さは全て が入魂の作だったんだと、得難い生き字引との交誼を誇りに思った。
 助監督と聞こえは好いが雑役の下っ端もいいところの激務に、僕と違って藤原は耐えられなかったと見える。ハリウッド並みにカチンコ を打つだけであったらしい。二つの班が合流した撮影ではスタジオの隅に積み上げられた畳の上で、膝小僧を抱えて僕たちの動き回るのを 鳥瞰しているだけであった。「カチンコ打て…言うから打ってますけど、私には助監督は向きまへん。終わったら企画部へ戻らせてもらい ますわ」と、藤原は言った。ユニークな人物だったから、その後も書籍が山積みの企画部へしばしば藤原を訪ねた。
 四三年の歳月が流れて一九九八年(平成一0)の夏、六五歳の僕は書店で『浄瑠璃坂の仇討ち』(文芸春秋社)に再会し、昔恋した人に 出逢ったように気分がときめいた。第一0六回(1992年)直木賞作家の高橋義夫が書き下ろし七月に発刊されたばかりであった。翌一九九 九年三月新聞広告で新刊の『浄瑠璃坂の討入り』(竹田真砂子著集英社)を見つけると、追って愛しい人からの誘いがあったかの如くいそ いそと書店へ向かった。この年のNHK大河ドラマが『元禄繚乱』(原作舟橋聖一「新・忠臣蔵」、脚色中島丈博、主演中村勘九郎、大 竹しのぶ)であるため出版社の食指が動いたか、赤穂浪士の討入りと無縁ではない市ケ谷浄瑠璃坂が掘り起こされている。瑠璃坂は僕にと っては忘れ難い第二の郷関なのだ。名作ビデオソフト「日本映画傑作全集」(キネマ倶楽部)に、この五月僕らの『復習浄瑠璃坂・第一部、 第二部』が加えられたので、早速購入して四五年のタイムスリップで歳を忘れた。
 ……(以下略)

 有難うございました。               荻野 慶人

荻野さんは宝塚映画の助監督さんだったのですね。じっくりと読ませていただきました。
社会に出て、自分が最初に手がける作品となると、やはり感慨深いものがありますよね。 辛いこともあったでしょうけれど、これも若き日の美しい思い出として残されておられることと思います。
しかし、宝塚映画製作所という、戦前から長年に渡って色々な作品を撮り続けた映画会社が現在では存続していないというのは 寂しいものです。
私が物心ついた頃には、もう宝塚映画では商業映画製作を止めてしまったため、宝塚映画と聞くと、HPの本文中にあるように ドラマの制作をしている会社というイメージしか湧かないんですが、テレビでごくたまに放送される古い邦画に 「宝塚映画作品」という文字を見ると、地元で制作された映画なんだな〜と、感慨深くなってしまいます。
ちなみに、ここに掲載の宝塚映画作品リストは、私がキネマ旬報や映画データベースなど四方八方手を尽くしてまとめて リストにした物なのですが、なんかおかしいのです。というのも、とある映画関係の出版物によると宝塚映画の作品数は 1939年制作の「山と少女」に始まり、1978年の「お吟さま」まで、39年間に176作品が撮影されたという記述なのですが、私が調べてまとめたリストでは 177作品になっているのです。うちのリストにどこか間違いがあるのか、されとも、その出版物が数を間違っているのか…。
つい先日も、リストに掲載されていない作品があるというお叱りを受けて追加したばかり。 宝塚映画の作品を知っている人は知っているようで、作品リストの不備にお気づきの方、いらしたらぜひ教えてください。


『「べにすずめ・・・」の尾崎美樹』の情報
投稿者…のぞみ★さん    2000年8月19日
「べにすずめ・・・」うたちゃん役の尾崎美樹さん、もうむっちゃ好みのタイプで、ハマってました。女優の五十嵐めぐみさん風で。。
番組終了後、2,3年どうしてるか解らなかったんですが、なんと平成6年ころ「めざましテレビ」の関西テレビ発の朝レポーターで出てるじゃありませんか。。これにはビックリ!!
関西人らしく、いろいろ朝から笑わしてくれました。好印象で、ずっとレギュラーで出演してました。。。 僕も毎日ビデオをセットしては出ている回だけ残して・・・
でも、平成7年の阪神淡路大震災以後、彼女はプッツリ番組から消えてしまいました。。。
今ころ、どうしているのかな。。

そうそう!可愛かったですよね〜。主役のあやめ(田中雅子)がアレなんで、よけいに(^_^;)
めざましテレビに出ていたことは初耳でしたが、その後の活躍がなくなるとホント、気になります。 どこかでなんかしらんの活躍をしているのでしょうか。情報あったらよろしくお願いします。


『くたばれかあちゃん』『料理少年Kタロー』の情報
投稿者…pitohuiさん    2000年8月14日

1.くたばれかあちゃん

まずはリクエストにお応えして「くたばれかあちゃん」の主題歌をば(1番だけですが)。

♪あいてはつよいぞ ゆだんをするな
 ウンジュウウンネン いきてるやつだぜ
 母と思えばおっかないが 
 ゴリラと思えばファイトがわくさ
 でもさ あのさ つかまっちゃたらさーあー
 二度としないから ゆるしてね


2.「料理少年Kタロー」

ネットで調べたら以下の情報が得られました。
原作はシリーズ物の児童図書のようです(この情報を載せたページも発見したのですが、なぜか消えてます)。

http://www.ltokyo.com/ohmori/TV.html
文章ばかりのサイトです。「Kタロー」で検索かけるとちょろっとだけ情報が出てきます。
なんと、辻調理師学校TEC日調監修だったそうです。
オープニングにいしかわじゅんのアニメが使われていて、さねよしいさこが主題歌を歌ってたのはなんとなく覚えています。

http://www.terra.dti.ne.jp/~abe/profile.htm
伊集院光が昔書いてた新聞のようです。
「Kタローが登校拒否を直す料理を作る」などと書いてあります。

http://www.stingray-jp.com/allsfx/
題名「Kタロー」でひくと若干情報が出てきます。
前回「ええにょぼ」にも出ていた、と書いた主役を演じてたのは三品守という子役の方だそうです。
父親役が鈴木ヒロミツさんらしいです。

いろいろ役立つ情報をありがとうございました!
くたばれかあちゃんの主題歌・くたばれマーチ…、歌詞はもちろんのこと、曲もまったく記憶にないんだな〜私は(^_^;)
ビデオデッキ持ってたんだから1話でも録画しておけばよかったと今になって後悔…。 CSで再放送してくれんかな…。


『神戸の異人館を舞台にした恋愛ドラマ』の情報
投稿者…まーちさん    2000年8月13日
震災の年のクリスマスの時期に放送されてたドラマの題名が思い出せないんです。
主演は大路恵美 石田靖 大江千里・・・などで 神戸の異人館を舞台にした恋愛ドラマです。
金曜日の深夜 4チャンネルでやってたことは覚えてるのに ドラマ名がでてこないなんて・・・だれか教えてくださーい。

タイトルは『異人館通りの聖夜 1995年のクリスマスツリー』です。
放送期間は 1995年10月6日〜1995年12月22日。
大江千里、大路恵美、石田靖、ラサール石井、豊原功補、鷲尾いさ子、片岡鶴太郎などが出演していました。
私は、このドラマを見てなかったんです(;_;)
詳しいストーリー、ご存じですか??よかったら教えてください。


『ワタナベ』の情報
投稿者…テクニカル基本セットさん    2000年8月10日
宇宙人ワタナベがホームステイしていた家の家族の苗字は、「時野」でした。小牧芽美扮する娘の名前は、「時野妙子」でした。


『赤いシュート』の情報
投稿者…三野友華子さん    2000年8月4日
たまたまこのページをみていて・・びっくりしました。
実は私は・・「赤いシュート」に準主役で出てた「みっち」役こと 三野友華子です。一番運動オンチで、主役のリオと一緒にチームを 作っていく役でした。今はあの時のメンバーはどうしてるんだろう・・
私は・・いろいろ今でも頑張っていて、CDデビューもしました。
私のHPにも赤いシュートの時の写真を載せてますよ!!
よかったらよってください。

またまたドラマの出演歴のある方からの投稿、感謝いたします!!
ああ〜、赤いシュートで運動音痴の子、いましたね〜。でも、顔を覚えていない(^_^;)
CDデビューってことは、今も芸能界で活躍されているんですね〜。
HPにもってことなんですが、URLがわからないので、教えてください〜〜。
よろしくお願いします。


『少女事件ファイル』の情報
投稿者…甲虫ひげぞうさん    2000年7月23日
お父さん役の高岡健二は、西宮出身のはずです。(高校で野球をやっていて、けっこう名前が売れていたような…、ちなみに、おじさんが元阪急ブレーブスのバルボンさん)
探偵トリオの一人が、西宮の子でした。その後芸能活動をしてるかどうか分かりませんので名前は書きませんが、当時中1になっていたのではないかと思います。

高岡健二は市立西宮高校出身ですね。
市立西宮高校のエースだったということは聞いたことがあります。


『ふぞろいのイレブン』の情報
投稿者…りんぼっけいさん    2000年7月23日
主役の純生くん役をやっていたのは、佐藤広純君でした。
他の出演者は覚えていませんが、「15円」「ショネショネ」等のあだ名の役がありました。
一度、武庫川の河川敷で撮影しているのを見かけましたよ!
最後のシーンで使ったグラウンドは、伊丹市のスポーツセンターのグラウンドだったと思います。
内容は、あんまり覚えていませんが、チームは女の子を1人含む、ギリギリ11人のチームでした。
で、やっと試合ができる事になったのですが、女子は出場したらダメって事が分かり、試合に出れないと諦めかけてしまいます。 そしたら、なんと試合当日、女の子が髪をバッサリ切って男装して現れたんです!
そして、何とか11人揃い、試合に出たけれど、途中で女の子がいるとバレてしまい・・・。
その後は・・・・???・・・。

武庫川での撮影はたいていどのドラマでもやってたようで。
サッカーや野球の試合のシーンなんかでは、伊丹のスポーツセンターがよく使われてましたね。 あと、伊丹の鶴田団地近くの空き地とか…。(ユニーズのあるところです)


『ワタナベ』の情報
投稿者…テクニカル基本セットさん    2000年7月22日
主演俳優は「森下じんたん」という名の男優でした。現在「森下じんせい」と改名した氏は、「暴れん坊将軍」の現行シリーズに、 南町奉行所の同心役で出演されています。
以上、ご報告までに。

そうそう、そうだった。森下じんたんという名前でした。(思い出しました)
森下じんせいとして、NHKのドラマ(大阪局制作)に出てますね。 NHKの朝ドラの「ふたりっ子」と「やんちゃくれ」に出ていたよーな。


『わんぱく天使』の情報
投稿者…田邉隆司さん    2000年6月26日
かわむら家コンビニ唯一の店員、西島良(つくお賢悟)さんがいました。
悦子(大沢逸美)さんに恋焦がれていました。曾我(早川祐馬)さんとのプ−ル対決、早川(清水善三)さんには 殴られていました。今は何処に何をしているのでしょうか?  

清水善三はわんぱく天使にも出ていたのですか…。知りませんでした。
「清水善三=週間○欽曜日の欽ちゃんバンド」というイメージが強いのは私だけでしょうか?


『わんぱく天使』の情報
投稿者…猿渡有香さん    2000年6月26日
学校のインターネットの授業中このページをみつけました。もう10年近く前に、わんぱく天使に出演していた、猿渡有香です。
キース エマーソンさんのコメント、すごくうれしかったです。
幼かった頃を思い出して、ほんわかした気分になれました。

くたばれ・かあちゃんのりゅうじさんに次いで、出演歴のある方からの投稿、驚いております〜。
わんぱく天使は仕事の関係で1話も見てませんでしたので、残念ながら猿渡有香さんのことは私はまったく存じなくて…。 当時の撮影の裏話やいろいろな話があれば、ぜひ聞かせてくださいませ。


『怪人二十面相と少年探偵団』『1・2・3と4・5・ロク』ほかの情報
投稿者…pitohuiさん    2000年6月21日
>場面は同じでしたが、楽太郎が奥に呼びかけるセリフが違っているバージョンもありました。
>それがどんなセリフだったかが思い出せません、どなたかご存じありません??

「おーい。洗面器」という台詞のバージョンがあったのを覚えてます。
最初のバージョンが話題になってからしばらく後に放映されてました。

でも宝塚映像って、ファミリーランドの脇にある小さな撮影所ですよね?
バスや車であの近辺をよく通るのですが、阪急ドラマが撮影されていた のは看板とか出していたから知ってましたが、あそこでこのCMが撮影 されたというのは初耳です。というか恥ずかしくておおっぴらに言えな いか。当時から「破廉恥CM」とかいわれていたし。

「おーい、洗面器〜」ですか。どういう意味なんだろ〜(^_^;)
宝塚映像が作ってたCM、阪急グループ(ファミリーランドとか)のを中心に 作られてまして、グループ外にも、このパスタイムなど、他社のものもあったようです。 (が、どれが宝塚映像のものかはワカラナイ)
6〜7年前から規模がさらに縮小されて、今はビデオシアターの経営と、阪急グループの CMしか作らない会社になってしまったのでした…。


『怪人二十面相と少年探偵団』『1・2・3と4・5・ロク』ほかの情報
投稿者…pitohuiさん    2000年6月20日
阪急ドラマについて、思いだしたまま書きます。
ちなみにいい時間帯占めている割には地味だったので、私はあまり見ていませんでした。

「くたばれかあちゃん」
 なぜか主題歌をよく覚えてます(ご希望があれば書きます)。
 三ツ矢歌子さんが見事にハマってました。

「怪人二十面相と少年探偵団」
 小林少年を演じていた古川さんという方は、少年時代に「宇宙鉄人キョーダイン」という特撮物に出ておられました。
 ちなみにこの特撮、毎日放送MBS製作でした。

「怪人二十面相と少年探偵団2」
>ところで、このドラマの主題歌は、たしか
>少年忍者(ジャニーズ系)が歌っていたっけ?
 ジャニーズ事務所かどうか知りませんが、少年アイドルのキャメロットというグループで、この当時同時に「俺 たちひょうきん族」などにも出ていました。風貌からするとアイドルらしいのですが、お笑いとも両立させてい たみたいで、いまのSMAPなんかよりずっと先行していたみたいですが人気は出なかったようです

「1・2・3と4・5・ロク」
 先生役の新田純一が東京住まいで、何回か寝坊して収録に遅れたことがあるそうです。そのとき、新田の 「いますぐ出ます」との電話の声を信用したスタッフが、待てど暮らせど来ないのをおかしい、と思いかな り危惧したけど、真相は新田の「いますぐ出ます」の出た場所とは東京の新田宅だった、という笑い話があっ た、と最終話近くに新聞に書いてあったのを覚えてます。

「料理少年Kタロー」
 私の記憶の中では最後(この頃から東京在住)なのですが、この後もあるんですよね。内容は、 マンガなんかに多い料理対決ものだったと思います。主人公Kタロー君を演じていた子は、そのす ぐ翌年にNHKの朝ドラ「ええにょぼ」で、戸田奈穂演じる主人公の弟役で出ていたので、見てい てびっくりした思い出があります。

「くたばれかあちゃん」の主題歌は、たしか「くたばれマーチ」でしたよね。 歌詞は全然覚えてません(^_^;)。よかったら書き出してくださいませ〜。
たしか、この歌はキャンティとかいうのが歌っていたよーな覚えがあります。


『芸能人。文化人』の情報
投稿者…pitohuiさん    2000年6月20日
通りすがりの者です。情報求む、ということで、思い付くまま書きます。

・今は亡き石原軍団の大ボス、石原裕次郎さんと兄貴で今は東京都知事の慎太郎さんはお二人とも神戸市出身だったと思 います。ただお父さんが通産省の官僚で全国を転々とされ、たまたま神戸で産まれたというだけで数年後には小樽へ転勤 になり、そこで大きくなったとか。

・桂米朝さんのお住まいは阪急神戸線武庫之荘駅近辺だそうです。

・藤岡琢也さんは阪急神戸線夙川駅近辺にお住まいらしいです。

・何かの雑誌で、有馬稲子さんが伊丹市内に在住してらしたという記事を見たことあります。
今はなき、桂枝雀さんも、伊丹に住まわれていた時期があったそうです。

・私の卒業した伊丹市立天王寺川中学のすぐそばに、作家の宮本輝氏が住んでおられました。文壇デビューは 「青が散る」で、映画化された「泥の河」とか「優駿」が有名ですよね。「花降る午後」という小説は神戸の レストランの女主人が主人公になってます。伊丹の図書館には「郷土作家コーナー」というのがあって、田辺聖 子さんと宮本さんの著作が並べてあったのですが、最近ひさしぶりに行ったら無くなってました。

・SF作家、筒井康隆さんも神戸(垂水区?)在住ですよね。

とまあ、今日はこのぐらいで。

有馬稲子は、宝塚時代に住んでいたんだったかな…。
しなが鳥 猪名野を来れば 有馬山 夕霧立ちぬ 宿りはなくて…
というわけで、万葉集から「有馬稲子」と名付けたそうです。
猪名野とはすなわち「稲野」、伊丹平野を指す地名ですね。
作家で最近やたらとテレビドラマに出演して俳優としても活躍している筒井康隆氏は 神戸の塩屋に住んでいましたが、数年前に神戸を引き払って東京に住んでいるそうです。


『パスタイム』のCM情報
投稿者…カルロス・タカさん    2000年6月9日
阪急のブーマー選手が出ていた、パスタイムのCM、今でも覚えています。 ブーマー選手が試合中、相手投手からデットボールを受け、相手投手に 詰め寄ると思ったら、薬局に駆け込んで「パスタイム下さ−い」と言い、店主 に貼ってもらい、最後に「ハンキュウ〜ブレ〜マッチ」と言って終わるのが 私は覚えています。(放送当時、私は小学生だった)
阪急ブレーブスはその後、オリックスブレーブスに球団が変わり、現在は オリックスブルーウェーブになっています。(ちなみに私は青波ファンです)
ブーマー選手ですが、91年までオリックスでプレーし、92年にダイエーに 移り、同年退団しました。
このパスタイム、今でも生産、販売されているのでしょうか?
このCMで薬局の店主をしていたのが三遊亭楽太郎とは私は初めて 知りました。こんな面白いCM、またやってほしいなぁ。 レオタードおばさん編もあったのが知らなかったです。

レオタードで踊るオバサマのCMのほうが有名で、ブーマー選手編は知らないって人のほうが とても多いんです。(私の周囲はみなそうでした)
「きもち〜よか〜」のは、その年のベストCMにもなっていたし、流行語にもなって、 笑福亭鶴瓶が「突然ガバチョ」っていう当時人気のあった関西ローカルの番組の中でもよく ギャグとして歌って踊ってました(笑)


『新婚プラス1』の情報
投稿者…ブースカさん    2000年6月9日
新婚家庭に引き取った小学生は兄の子供で、その兄役で関口宏が出ていました。
今から考えると貴重なキャスト?です。

なんとなんと、それは知りませんでした。意外な人物が脇役で出ていたりするんですね〜。 ところで、関口宏が俳優だということを知らない人も多いのでは…。


『1・2・3と4・5・ロク』『少女事件ファイル』の情報
投稿者…カルロス・タカさん    2000年6月5日
「123と45ロク」で長女役の柴田時江は何年か後に「投稿!特ホウ王国」にレポーターとして出ていた。その後はあまり見かけない。
「少女探偵事件ファイル」で主役の森本 玲はその後、見かけない。


『ときめき時代』『山口香物語』『ワタナベ』の情報
投稿者…カルロス・タカさん    2000年6月4日
「ときめき時代」で教育実習に来た青年役は志村東吾氏で、その後、 「はみだし刑事」などに出演(工藤刑事)しかし、父親役の夏 夕介は 4年ぐらい前から見かけなくなった。マコの姉役の人は誰ですか?
「山口香物語」でコーチ役に神田利則で父親役に東野英心だったのを覚えている。
「ワタナベ」で主役の宇宙人役は大阪の劇団所属の俳優で、娘になっていたのは小牧芽美である。

神田利則が出ていたのは「新」のほうだったかな…?中村由真のやつです。


『胸さわぎの15才』『少女探偵事件ファイル』の情報
投稿者…カルロス・タカさん    2000年6月3日
「胸さわぎの15才」で先生役になっていたのは沢田知可子ではありません。正しくは青山知可子です。
あと、校長にはチャンバラトリオのリーダー・南方英二や生徒の父にミス花子、体育教師?に大島蓉子も出演 (大島は「ワタナベ」にも出演)

「少女探偵事件ファイル」この物語はポプラ社刊の児童向け図書が原作で、小6の少女が町内で起こった事件を 解決する話である。
出演は主役の真理に森本 玲、父親に高岡健二、母親にあいはら友子だったのを覚えているか、兄の頼彦役の人や、 その他の出演者は忘れてしまいました。知っている方、教えて下さい。


『ふぞろいのイレブン』ほかの情報
投稿者…カルロス・タカさん    2000年6月2日
「ふぞろいのイレブン」に清水 圭が出演(チームの監督役)

次の作品のテーマ曲を歌っていたグループについて教えて下さい。
「泳げ!第5コース」 「赤いシュート!」
「はずめ!イエローボール」

「学校の怪談」 ストーリーテラーは池乃めだかで出演者は忘れてしま いました。年2〜3回スペシャルで放映。
「ワタナベ」に坂田利夫師匠が出演していたのを覚えている。

はずめイエローボールの主題歌は、「Boom」ってタイトルでしたっけ? グループ名は知りませんがノリがよくて、よく口ずさんで歌ってました。
カラオケ屋行ってもこの曲はなかった…。


『ゆるしません』情報
投稿者…コアラさん    2000年6月1日
こんなホームページがあって感激しています。
草川祐馬の話がいろいろと出ているようなのでボクもちょっと…。もしかしたらボクの思い違いだったらゴメンなさい。
「おだいじに」というドラマの前の「ゆるしません」でも草川祐馬が出ていた気がします。
草川祐馬は骨董屋の主人の息子役で、その草川祐馬の弟役だったと思いますが、その子が誘拐されてしまうという場面でした。
ずいぶん昔のことなので記憶があいまいですいません。草川祐馬の結核は当時、週刊誌でもよく話題になってました。

「ゆるしません!」に「草川祐馬」…。ああ〜、記憶があいまいですが、そのシーンは覚えています。
言われてみると、それも草川祐馬だったような気がします(^_^;)。
誘拐されるのは骨董屋の息子ですが、草川祐馬はそこの若主人の弟で、誘拐されるのは若主人の長男という設定だった ような気もします。すなわち、草川祐馬の甥っ子が誘拐されると言うことで(配役の年齢からして…)
で、その骨董屋さんですが、実は神戸市東灘区住吉にある「仁仙江(じんせんこう)」なのです。 ドラマ中でも「仁仙江」と、そのまま使っていました。


情報募集中!!
兵庫県内が舞台になった映画とドラマ、阪急ドラマ、文学作品についての
みなさまの思い出話、各種情報の提供などをお待ちしています。また、
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