阪急ドラマの思い出



文…かもねぎ(2001.06.16作成)

■ 河原町東入ル

私が初めて阪急ドラマを見たのは、たぶん「河原町東入る」だと思う…。
この放送の頃、小学生だった私は、この10時半という時間帯にはテレビを見ることも あまりなかったわけだけど、たまたま父親がゴロ寝しながら見ていたテレビドラマで、 河原町なんたら…というタイトルのドラマだったのをずっと記憶していたが、 長年、このドラマの正式なタイトル、出演者などは、まったく知らずにいたのである…。
このドラマのタイトルを知るきっかけというのが、3年ほど前のテレビ番組雑誌に掲載されている CS・ファミリー劇場の番組表だった。ファミリー劇場といえば、昔懐かしいテレビドラマが 放送されていることでも知られていて、これを目当てにスカパーに入る人もいるほどで、 実はこの私も、ファミリー劇場で放送されていたドラマで見たい物があったのであるが、 スカパーのアンテナとチューナー、それに月々の視聴料などのことを考えると、 ちょっとためらっていたのであった。
…と、いろいろと話が脱線してしまったけど、このファミリー劇場で放送されている中に、 「河原町東入ル」というドラマが記載されていたのである。
自分の薄れた記憶の中にある「河原町」というタイトルのついたドラマ、そうだ、 小学生の時、チラリと見たドラマは、きっとこれだったんだと確証したが、 スカパーにもCATVにも加入していない当時の我が家では、河原町東入ルを見る機会はなかった。

■ 「新婚プラス1」と「いらっしゃいませ」

河原町東入ル…から数年が過ぎた頃、「新婚プラス1」というドラマを見た。 これが自分にとっての阪急ドラマ処女作っていうか、はじめて見続け、ストーリーも大体把握していた ドラマだった。
出てくる場面は、大阪の千里ニュータウン、宝塚市内の風景、阪急電車と、 とにかくドラマの中には、自分にとっても見慣れた場所がところどころに出てくる。 我が家の近くにもあったレストラン・セントバーナード…。 まさに関西ドラマの中でも、自分にとって、特に身近に感じられたドラマだった。 これ以後、この阪急ドラマに注目するようになったのであった。
新婚プラス1のあとに放送された「いらっしゃいませ」は、母親と姉妹の4人で喫茶店を開くというストーリー。 このドラマの舞台は神戸で、このドラマで出てきたロケ地(阪急六甲付近)をよく探索した。 これが私にとって、はじめてのロケ地探索だった。

■ 「ゆるしません」で、初のロケ現場を…

ロケ地探索をしていると、次はロケ現場というのを見たくなるのが順序というもの…。そこで、 宝塚映画へ電話で問い合わせてみると「ロケなどの予定は現場の者に聞かないとわからないので教えられない」とのことだった。 それでは現場の者にかわってくれ…とも言えないので、ここはあきらめて…と思ったけれど、あきらめきれず、 翌日は、昼前から宝塚映画の前で張り込みをすることにした。
午後2時過ぎ、撮影現場へと向かうのであろうロケバスが1台、宝塚映画の門を出てきた。 さっそく追尾開始!しかし、こちらは自転車…。さらにはミニサイクルだったわけで、 とうてい車に追いつけるはずがない…。国道176号線バイパスの宝塚インター付近で見失ってしまった。 でも、ここであきらめてはいけない。国道176号バイパスを東へ行くということは、 目的地は伊丹の荒牧なのだろう。というのも、この「ゆるしません」では、伊丹の荒牧が ヒロインの家として使われていた。 これはテレビドラマで見た周辺の景色と地図を照らし合わせて特定していたのであった。 そこで、自転車で荒牧のその現場へ行ってみると、予想どおり、現場では撮影をやっていたではないか(笑)
はじめて見たロケ現場。NHKの朝ドラ「おていちゃん」で人気だった女優・友里千賀子を 遠巻きながら見ることができた。撮影は1時間足らずで終わって、またまたロケバスは 走りだして行く。そして私もそのバスを自転車で追尾するが、結局は追い付けない(笑) そういうことを当時は何度も繰り返していた。

■ 「おだいじに」「事件ですよ」

何度もロケ地へ足を運んでいると、現場のスタッフの人とも知り合いになる…といっても 2人だけだったけど、撮影が終わってから次のロケ地の移動先を教えてもらえるようになった。 「次はどこそこやけど、30分で終わるから自転車であとついて行っても無駄やで」とか忠告されることもあった(^_^;) それでも自転車で現場へ行ったのである。
ちなみに、「おだいじに…」は、主たる撮影現場が西宮市内で、今まで宝塚や伊丹まで自転車で行ってたのが 少しはラクになった。
「事件ですよ」のロケ現場は、とても自転車で移動できる距離ではなかった。
おだいじに…のロケで、次回から放送する「事件ですよ!」というドラマでは、 第一回目の放送に使うためのロケを8月某日に豊中市の阪急岡町駅で撮影するんだとスタッフの人から教えてもらった。 さっそくその日、1時間前から友人と二人で自転車で岡町駅まで向かった。
この日の撮影は、岡江久美子が岡町駅から降りるシーンの撮影で、エキストラを何人も使っての 撮影は、今までにはなかった規模のものだった。
さらに、このドラマの宣伝シーンの撮影だとのことで関西テレビの関係者まで来ていて、 この日の岡町駅前は宝塚映画のスタッフ、出演者たち(エキストラ十数名)、 関西テレビ関係者にロケを見ている一般人と、とにかく大勢だった記憶がある。 ちなみに、この岡町駅でのシーンは関西テレビのスポット(9時56分から2分間とか、そういう感じ)で放映されたり、 阪急梅田にある「ビッグマン」(大型スクリーン)でも流されたそうである。
次のロケへ移動〜というわけで、顔見知りになったスタッフの人に次のロケ先を聞くと 池田の伏尾台だという…。ちなみに、岡町駅へは自転車で来ていたが、伏尾台となると 距離的には10キロもないんだろうけど坂道が大変。自転車は岡町駅に置いて、 池田まで電車、池田から伏尾台までバスで行った。
ちょうど伏尾台まで行ったら、撮影の真っ最中。岡江久美子さん、さっそうと歩いてらした。

■ 阪急ドラマ以外のロケ追っかけ

当時の宝塚映画は、午後7時からの阪急ドラマ以外にも、読売テレビの木曜ゴールデンドラマ 「私が殺した女」や、フジテレビのライオン奥様劇場「ママは新入社員」も制作しており、 阪急ドラマとともに、これらのドラマの撮影も進めていた。
当然、ロケの予定を聞いておいて見せていただいた。 ママは新入社員のロケ地は宝塚市の山本にある住宅街で、1度だけではあったが現場へ行って出演者の土田早苗さんを見た。
「私が殺した女」の撮影場所は西宮の苦楽園近くの高台で、こんな坂道続きのところでも 自転車でかけつけて現場を見に行き、映画・蒲田行進曲で有名になり、 その後はスチュワーデス物語でさらに注目されることになる風間杜夫を見た。

■ 追っかけ生活から引退か…

1982年には、熊谷真美主演の「先生お・み・ご・と! 」という、阪急ドラマ始まって以来の 学園物がスタートした。撮影現場は芦屋女子学園(現在の芦屋大学付属高校・中学)で、 ロケはその周辺や宝塚市内などで行われていたが、このドラマのロケ現場へは、一度も見に行った記憶が ないのである。また、その後の「青春…INGS・ゆう子とヘレン」については、一度だけ 宝塚市山本の撮影場所へ見に行っただけで、それ以後はまったく行かなくなってしまった。 この頃から当時の私は学業優先の生活に入ってきたためだった…。

■ すっかりとご無沙汰。宝塚映画解散…

83年になると、もうロケ地探訪やロケ現場襲撃ということをまったくやらなくなり、 ただ、テレビで阪急ドラマを見るだけの生活になってしまった。 その頃には「くたばれかあちゃん」というドラマをしていたけど、 見てみるとほとんどがスタジオ内での撮影でロケの割合が少なかったように思う。
その頃、たまたま夕方のNHKテレビを見ていると、宝塚映画が解散するというニュースが流れていた。 会社の解散で従業員を全員解雇し、解雇した従業員の一部を新たに設立する宝塚映像に再雇用するという。 従業員は宝塚映画時代の6割程度になり、規模が大幅縮小するらしい。 ロケ現場を見に行った時に、よく話をした、あのスタッフの人たちは、大丈夫かなぁ…と、ちょっと心配になった。

■ 怪人二十面相と少年探偵団

宝塚映画が解散(早く言えば倒産)して宝塚映像になって最初のドラマが 「怪人二十面相と少年探偵団」だった。 まあ、このドラマのロケ現場を見に行くことはなかったが、地元での撮影だったので、時々はテレビで見て、撮影地は どこそこだな…とチェック入れだけは怠らなかった。
そして、あれは1984年の9月の、ある日のこと…。
その日は土曜日。土曜日といえばいつも学校の帰りに仲の良い友人たちとロッテリアに立ち寄り、 ベラベラしゃべってから家路についていたのであるが、いつもの土曜日のように阪急電車で帰り、 お昼の3時近く、西宮北口駅を降りた時のことだった。 改札口を出た時に、目の前のタクシーのりばのところに宝塚映像のロケバスが入ってきた。 「ん?これはもしかして…」予想は当たった。ドラマの撮影の開始である。 ロケ現場を見るのも久し振りでワクワクしてきた。ロケバスからは、少年探偵団たちが降りて来るではないか! 団長の古川聡もいる! とにかく、テレビで見ていた少年探偵団の子供達が自分のすぐそばにいるのだ。
「みなさん〜、今から撮影するんで、向こうむいてて〜」と、宝塚映像のヒゲ生やしたスタッフ(この人は宝塚映画のロケ現場では見たことなかった…)が 大声でまわりにいる人たちに向かって叫ぶ。われわれ周囲の人間は、言われたとおり、カメラを意識せず、フツーにしている。 少年探偵団たちは、走りまわる撮影をしているようで、みんな汗だく。そりゃあ9月で、まだ暑い。 黒装束を着ている出演者もいて、その男の子はもっと暑かっただろうに。
撮影は、アッと言う間に終わってしまって、少年探偵団たちはスタッフ達とともにロケバスに乗り込み、去ってしまった。 このシーンは、恐らく最終回間近の回の放送だったであろうが、当時の私は、夜は予備校に通っていて、 放送日である金曜日は予備校の日。テレビは見ていられない。 当時、ビデオデッキも高価なもので、当然、そんなもの家にはない。残念ながらこの西宮北口駅でのシーンは見逃してしまった。 もしかしたら自分の後ろ姿が写っていたかもしれないのであるが、確かめようもないのだった。

■ ママ聞いてよ!からビデオで録画

夏休み中にアルバイトをしていたので、その金を元にして、ビデオデッキを購入。 Hi-Fiビデオで19万8千円を5%値引きしてもらって189,800円で購入。さらに当時1本1500円程度していた ハイグレードのビデオテープ3本つき。高いようだが、当時としては安いほうだった。 これで、留守中でも予約録画でビデオを見ることが出来る!感激だった。
ママ聞いてよ!は、第一回目から、たいてい録画した…けれども、当時はビデオテープが高かった。 ハイグレードの2時間テープが1本1500円、ノーマルな物でも1本1000円以上していたので、 見たドラマは原則、重ね録りでまた別の物を録画するということをしていた。おかげで、 ママ聞いてよ!を始め、それ以後に放送された「それいけ!ズッコケ三人組」「泳げ第5コース」 「赤いシュート」など、残念なことにすべて消してしまっていた。


[以下、また今後に追加いたします…。]

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