灰谷健次郎原作「兎の眼」と「太陽の子〜てだのふぁ」


灰谷健次郎とは?

灰谷健次郎は1934年(昭和9年)兵庫県に生まれ、大阪学芸大学を卒業後、小学校の教師を勤めるかたわら 児童詩誌「きりん」の編集に携わるようになる。
1971年(昭和46年)には17年間の教師生活にピリオドをうち、沖縄、アジアを歩く。 そして1973年には「兎の眼」、1977年には「太陽の子」を発表し、作家としての名を高める。 1978年には、「ひとりぽっちの動物園」小学館文学賞を受賞し、1979年には、 山本有三記念第1回路傍の石文学賞を受賞。

兎の眼

灰谷健次郎の著作「兎の眼」は、阪神工業地帯にある小学校を舞台とし、 主人公である新米の女教師、小谷先生を中心に「教育の現場」を描いた作品です。
主人公の小谷先生は大学を出てすぐに結婚し、同時に小学校の教師になった新米教師。 小谷先生の受け持ちは1年生。受け持ちのクラスの生徒の中に、何も話さず文字を読み書きできず、 心を開かない男子生徒、鉄三がいました。
生徒の親たちからの苦情を受け、鉄三に翻弄され、泣きながら苦しみながらも 荒廃する教育現場とともに、小谷先生は力強く、一生懸命に教師として成長していきます。

この「兎の眼」が映画化されたのは1979年で、教育映画としての性格が高かったようで、 私も学校で鑑賞しました。

新米教師の小谷芙美役には「檀ふみ」、足立先生役に「新克利」、 堅く心を開かない生徒、鉄三役に「頼光健之」、過去を背負ったバク爺さん役には「下条正巳」といった キャストで、監督は中山節夫。
映画の撮影は1978年夏から、兵庫県西宮市と明石市などで撮影が始まり、 バグ爺さん、鉄三が住む工業地帯にある古い長屋は、西宮市の武庫川河口に近い 上田東町の家屋が使用されました。(現在では残っていません)
また、小谷先生が勤務し、鉄三が通う小学校は、明石市大明石町にある 明石市立大観小学校が使われていました。

この映画、もう一度見たいのです。テレビで放送してくれないものか〜〜!!


太陽の子

神戸にある小さな沖縄料理店「てだのふぁ・おきなわ亭」は、 沖縄の言葉で「太陽の子」を意味する。 この「てだのふぁ」という店名は、この店の一人娘で小学校6年生の「ふうちゃん」が 明るく育つように祈りをこめて命名された。 この料理店に来るお客さんは、沖縄出身者ばかり。この店がリトル・オキナワであったわけです。
ふうちゃんのおじいさんは、太平洋戦争の頃、沖縄戦で大変な苦労を背負った過去があります。 主人公のふうちゃんを通して、当時の戦争の悲劇と、人間の本当の優しさの意味を問う作品でした。

この小説が映画化されたのは1980年。ふうちゃん役には原田晴美、他の出演者は 大空真弓、河原崎長一郎、大竹しのぶ・・・・・。
残念ながら私は、この映画を見ることができませんでした。 (年に一度の学校の映画会でも、太陽の子は加わってませんでした) 見てみたいんですけどね・・・。




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