阪神電鉄バス 野田宝塚線
(野田阪神前〜阪神杭瀬駅北〜西大島〜宝塚)
野田阪神前から国道2号線、西大島から県道尼崎宝塚線を経て宝塚へ至る延長20.8Kmの幹線ルート。

【路線概要】
野田阪神前のバスターミナルから出る宝塚ゆきは、平日の朝8便、夕方7便 (休日は朝4便)のみ運転。 昭和55年頃までは昼間にも1時間あたり3本の野田阪神前発が運転されていたが、 利用者の減少のため、今では朝夕以外の時間帯はすべて阪神杭瀬駅北と阪神尼崎からの出発となった。
野田阪神前を出たバスは国道2号線を西へと進むのであるが、 夕方近くになると淀川大橋、神崎大橋へと行くにつれ渋滞が激しくなるため、 この区間のみで10分以上の遅れを出すのは日常茶飯事。
佃を過ぎ、左門殿橋を渡ると、大阪市を抜けて兵庫県尼崎市に入る。
阪神杭瀬駅北停留所は、阪神国道線(併用軌道)時代から「北杭瀬」という停留所名であったが、 昭和50年代半ばに阪神電車との連絡駅であるということをわかりやすくするために、 現在の阪神杭瀬駅という名称となった。ちなみに、この停留所始からは、 1時間あたり3〜4本程度で宝塚行きのバスが出る。
尼崎文化センター前を過ぎ、新庄下川に架かる玉江橋を渡って阪神尼崎駅北停留所に到着。 ここから阪神尼崎始発の宝塚ゆき、神戸税関前ゆきとも合流するため、バスの運転本数も大幅に増加する。
難波、尼崎浜田車庫前、東大島を過ぎ、西大島交差点でバスは国道2号線から離れて右折、 県道尼崎宝塚線(通称・尼宝線)に入る。宝塚ゆきの西大島バス停は国道2号線から外れ、 西大島交差点北西の尼宝線沿いに位置している。 また、この西大島からは阪神甲子園方面から来る宝塚ゆきとも合流。 そしてバスは国道2号線から変わり、尼宝線を一路北へと向かって走る。
武庫之荘付近では阪急神戸線を跨ぐ土盛りの跨線橋を渡るが、 この跨線橋は、かつて尼崎と宝塚間に鉄道を走らせる計画があり、 その線路用地として整備されたもので、跨線橋も鉄道が走れるよう緩やかな勾配になっており、 鉄道敷設計画から70年を経た現在、尼崎宝塚間の鉄道建設の夢の跡が見られる唯一の場所になっている。 この阪急跨線橋を越えると、バスは武庫荘駅西口に到着する。ただし、阪急の駅からは遠く700mも離れている。
ちなみに、阪急電鉄の駅名は「武庫之荘(むこのそう)」で「之」の字が入るが阪神電鉄バスの停留所名には 之の字が入らず「武庫荘(むこのそう)」である。 同じく手前の「南武庫荘7丁目」「南武庫荘5丁目」も、 尼崎市バスはもちろん実際の町名にはちゃんと「之」が入っているのだが、 阪神バスの停留所には入っていない。 ちなみにこの「武庫之荘」という地名(駅名)の歴史は意外に新しく、 それまでは「武庫ノ荘」と、「之」ではなく「ノ」が入る地名が使われていたのを 阪急電鉄の小林一三氏が「漢字に仮名が混じるのは好ましくない」と、 昭和12年に開設された阪急の「武庫之荘」駅では「之」が加わったと言われる。 阪神バスの停留所に「之」が入っていないのは、 当時から熾烈な争いを繰り広げていた阪急の作った地名を使いたくないと言うのが阪神側にあったのかもしれない(笑)
武庫荘駅西口を過ぎると次は「武庫の郷」であるが、尼崎市バスの停留所も、 交差点の名前も「武庫之郷」と「之」であるが、阪神バス側では「之」を「の」と平仮名を使用している。
時友付近で新幹線の高架をくぐった辺りから渋滞が激しい区間で、この路線のバスの遅れを出す元凶にもなっている。 ノロノロ運転で昆陽里に到着する。昆陽里は伊丹市郊外の中心地でもあり、国道171号線(西国街道)と交差し、 古くからの交通の要所である。早くから郊外型店舗が進出していた地域で、買い物客の利用も多い。
また、ここから伊丹市バスが尼宝線を走行し、伊丹市バスとすれ違うことも多くなってくる。
昆陽里を過ぎ、3つ目の西野停留所を過ぎると、伊丹市を抜けて宝塚市に入る。 西野から安倉にかけては、ここ近年で急速に宅地かが進んだ地域で、昭和57年からは、 尼宝線だけを走るルートとは別に、東へ500m離れた宝塚安倉団地を経由する路線が地域住民の要望によって路線が開設された。
安倉を出て、右手に中国自動車道の宝塚インターが見えてくるが、中国道が開通して以来、安倉・小浜間の渋滞は 酷くなる一方であるが、県道の4車線化工事も未着工だ。
小浜は古くから宿場町として栄えたところで、 現在、町並み保存などの取り組みが宝塚市などの手によって行われている。
小浜からは国道176号線と合流し4車線道路になり、交通量も多くなってくる。 宝塚終点にほど近い歌劇場前交差点は、かつて計画された宝塚尼崎電鉄の終着駅「宝塚駅」となるはずだった場所で、 昭和初期に建造されたホームと駅舎とを結ぶ連絡地下通路が今も道路の下に眠っている。 (昭和55年に道路改修工事の際、この交差点地下に突如として現れたことで地元ではスクープになった。)
バスは歌劇場前を過ぎ、終点の宝塚に到着。
宝塚駅前は市街地再開発によって駅前が整備されてずいぶんと綺麗になった。 阪神バスは阪急バスとは反対側のJR宝塚駅前の乗り場に入る。 野田阪神から宝塚までの所要時間は60分前後、運賃は270円。 この区間を通しで利用する乗客は、やはり皆無だと思われる。

一方、宝塚始発の出屋敷経由高洲ゆきが平日と土曜日、1日2便、早朝の片道のみが運転されている。
これは「宝塚ローカル線」で、野田宝塚線の尼崎方面ゆきと同じコースを走り、 尼崎市内国道2号線の竹谷バス停を出ると次の交差点を右折し、阪神出屋敷方面へ向かう。
出屋敷を出ると国道43号線を越えて工場・倉庫が立ち並ぶ高洲バス停に到着する。 ここが宝塚ローカル線の終点である。
かつて、阪神の出屋敷と高洲との間には、阪神電鉄の海岸線が走っており、 この宝塚ローカル線は、海岸線廃止後の代替の役目も担っていた。 しかし、今では出屋敷を出ると高洲まで乗る乗客はほとんどおらず、 バスは高洲停留所に停車せず、空のまま高洲交差点を臨港線方向へ右折し、 浜田車庫へと回送されていく。
なお、高洲から宝塚へ行く逆コースの便はない。




【運行状況】

朝ラッシュ時は、宝塚〜尼崎間で、おおむね6分間隔、尼崎〜杭瀬間は6〜18分間隔で運行。 昼間は宝塚〜尼崎間8〜10分間隔、尼崎〜杭瀬間18〜20分間隔、夕方ラッシュ時は宝塚〜尼崎間 8分間隔、尼崎〜杭瀬間8〜16分間隔にて運行。宝塚−野田阪神間の直通便は、 朝は往路8便・復路5便、夕方往路復路とも各7便である。
野田阪神〜宝塚直通便は大阪市内と尼崎市内、尼宝線内各所の渋滞によって、正規の所要時間60分であるが、 夕方の便の場合で最大20分程度の遅れが出ることもある。
渋滞で定時運行できない場合は、浜田車庫から臨時便を出して定時運行確保につとめているのは 尼崎神戸線と同様。
阪神間を南北に結ぶ数少ない路線であり、伊丹市西部や宝塚市安倉地区などから宝塚、尼崎への唯一の 交通機関であるため、今も昔も重要な路線である。
現在、道路拡幅工事が未着工となっている尼崎市武庫之郷〜伊丹市昆陽里〜池尻間、 宝塚市総合福祉センター〜小浜間では、頻繁に道路渋滞が起こっているため、 午前から午後ラッシュにかけて昼間は常に渋滞しており、定時運行は難しくなっている。 一日も早い道路整備が待たれるが、阪神間南北を結ぶ幹線道路が少ないこともあり、 尼宝線の道路拡幅工事が完成しても渋滞の解消にはならないかもしれないが・・・・。

【野田宝塚線の歴史】

大正末期、尼崎と宝塚を結ぶ電気鉄道の計画が浮上し、大正13年、 阪神間の有力者により阪神電鉄系の宝塚尼崎電気鉄道が設立され、 大正15年から路線敷設工事が始まった。
昭和2年には、架橋工事など一部を除くほとんどの工事が完了したものの、 尼崎市から市内を高架化するよう要求され、工費などの面で計画が頓挫してしまう。 一方で、当時、バス事業が注目された時期であり、その後計画を変更し、 尼崎宝塚電気鉄道は西大島〜宝塚間の線路敷を道路と変更することでバス事業に乗り出すこととなり、 竣工していた線路敷を舗装し、西大島から宝塚歌劇場前間約10Km、幅員7メートルの 自動車専用道路を完成させたものの不況のため、宝塚尼崎電気鉄道は、 昭和7年、同じ阪神系の阪神国道自動車と合併することとなる。
両者の合併は、自動車を余らせていた阪国バスと、自動車を事欠いていた宝塚尼崎電鉄側双方の利害が 一致した合併で、昭和7年11月25日、阪国バスは大阪福島〜宝塚間と、神戸滝道(三宮)〜宝塚間で、 バス路線が開設させた。また同時に西大島から宝塚へ至る宝塚自動車専用道路も開通し、 この道路をバスが走り、一般の自動車には通行料金を徴収するという、 関西初の自動車専用有料道であった。(昭和17年に県道に編入)
戦後、阪国バスは阪神電鉄が買収して阪神電鉄の直営バスとして再出発し、 また、昭和30年代に入って沿線人口の大幅増加によってバスの利用は着々と増加していった。 昭和28年には、大阪桜橋から大阪内本町バスセンターへの乗り入れをはじめたが、 利用者が思うように伸びなかったため翌年には廃止、また、急激な自動車の増加によって 昭和40年代初頭には梅田新道始発を野田阪神前に変更となっている。
昭和50年代半ばには、朝夕以外の野田阪神前発着便を無くし、北杭瀬(阪神杭瀬駅北)発着とし、 効率的な運行を目指した。さらに昭和50年代末には阪神杭瀬駅北発着便を短縮し、 阪神尼崎駅前に乗り入れる便を開設している。

【宝塚ローカル線の歴史】

宝塚ローカル線は、昭和36年9月、猪名野(現在の西野)から高洲間で開業。沿線から尼崎市臨海部の 工業地帯への通勤客輸送のために開通した路線であった。その後、猪名野から宝塚発に変更となり、 現在に至っているが、昭和40年代末から朝の片道(高洲行き)のみの運行となった。 尼崎の工業衰退により利用者が大幅に減少しており、現在では高洲まで利用する乗客もほとんどおらず、 廃止も近いかもしれない。
【運転本数】
運転区間運転本数
平日土曜日休日
野田阪神前〜宝塚往路15
復路13
往路13
復路12
往路 4
復路 3
野田阪神前〜昆陽里往路 0
復路 1
往路 0
復路 1
往路 0
復路 0
阪神杭瀬駅北〜宝塚往路54
復路51
往路53
復路49
往路53
復路48
阪神杭瀬駅北〜昆陽里往路 0
復路 1
往路 0
復路 1
往路 0
復路 1
阪神杭瀬駅北〜尼崎浜田車庫前往路 4
復路 2
往路 2
復路 2
往路 0
復路 0
阪神尼崎〜宝塚往路35
復路37
往路33
復路36
往路34
復路38
阪神尼崎〜昆陽里往路 4
復路 1
往路 4
復路 1
往路 4
復路 1
尼崎浜田車庫前〜宝塚往路14
復路17
往路14
復路17
往路 6
復路10
尼崎浜田車庫前
〜宝塚安倉団地〜宝塚
往路 2
復路 1
往路 2
復路 1
往路 2
復路 1
尼崎浜田車庫前〜宝塚安倉団地往路 0
復路 3
往路 0
復路 3
往路 0
復路 0
野田阪神前〜宝塚安倉団地往路 0
復路 1
往路 0
復路 1
往路 0
復路 0
宝塚〜宝塚安倉団地〜宝塚
阪神甲子園〜宝塚安倉団地〜宝塚往路 8
復路 9
往路 8
復路 9
往路12
復路14
鳴尾浜〜宝塚安倉団地〜宝塚往路 3
復路 3
往路 3
復路 3
往路 0
復路 0
阪神甲子園〜宝塚安倉団地往路 3
復路 1
往路 3
復路 1
往路 2
復路 0
鳴尾浜〜宝塚安倉団地往路 0
復路 1
往路 0
復路 1
往路 0
復路 0
高洲〜宝塚往路 0
復路 2
往路 0
復路 2
往路 0
復路 0
【運賃表】
宝 塚
 210小浜・宝塚市立病院前
 210 210西 野
 230 210 210武庫の郷
 230 230 210 210労災病院前・西大島
 250 230 230 210 210出屋敷・高洲
 250 230 230 210 210難 波
 250 250 230 230 210 210阪神尼崎
 250 250 230 230 210 210阪神杭瀬駅北
 270 250 250 230 230 210 200歌島橋
 270 270 250 250 230 230 200 200野田阪神前


データはいずれも1999年1月現在。

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