阪神電鉄バス 尼崎神戸線
(阪神尼崎〜西宮戎〜甲南学園前〜三宮駅前〜神戸税関前)
尼崎神戸線は、阪神尼崎を起点に国道2号線をひた走り、三宮を経て神戸税関前に至る延長23.8Km(復路24Km)で阪神バスの一般路線では最長かつ、幹線の意味合いを持つ代表的な路線。
【路線概要】
尼崎駅北口の賑わいとは対照的に、閑散とした阪神尼崎駅南口の片隅に阪神バスのターミナルがあり、
阪神バスはすべてここから出発している。
阪神バスが阪神尼崎駅のターミナルに乗り入れるようになったのは昭和42年から。
阪急バスと尼崎市バスに比べるとずっと後発である。
阪神尼崎を出たバスは、阪神電鉄の高架をくぐり玉江橋交差点を左折、
国道2号線沿いにある阪神尼崎駅北停留所からは、野田阪神前や阪神杭瀬駅北から来る阪神甲子園行き(大阪ローカル線)、
宝塚行き(野田宝塚線)と合流し、一路国道2号線を神戸方面へと走っていき、
途中の難波(なにわ)停留所は商店街の買い物客が多く利用するため、ここから乗客も多くなる。
阪神バスの本拠地にもなっている尼崎浜田車庫前では、乗務員の交代が行われる。
浜田車庫前を出発したバスは西大島を過ぎ、武庫川に架かる武庫大橋を渡ると、
尼崎市を抜けて西宮市に。北今津停留所は、阪急今津線の阪神国道駅があり、
ここで阪急に乗り換える乗客も多く、車内放送でも「宝塚方面へお越しの方はお乗り換えください」
といった放送も十数年前から入るようになった。
宝塚への直通電車がなくなった現在では、宝塚方面・・・とするより、
阪急電車・・・と言ったほうがいいような気がするのであるが・・・。
JR西宮駅前では、駅前広場の完成に従って阪神バスも乗り入れるようになり、JRへの乗り継ぎが便利になったが、
JR乗り換えの案内はない(笑)。また、国道沿いにも従来からのJR西宮駅前停留所があり、
こちらは駅前広場のバスターミナルと区別するため「国道JR西宮駅前」と言う名称になっている。
ちなみに、JRの正式な駅名は「西ノ宮」と「ノ」の字が入るが、
停留所名は「西宮駅前」と、ノの字は入っていない。
JR西宮駅前を出たバスは、国道171号線との合流地点で交通渋滞の元凶ともなっている札場筋交差点を過ぎ、
西宮戎(国道戎)に着く。阪神西宮ゆきのバスは、西宮戎停留所手前のT字路阪神西宮のバスターミナルへ入るが、
尼崎〜神戸間直通の路線はバスターミナルには乗り入れず、そのまま直進。
西宮戎停留所は阪神西宮バスターミナルにも近く、阪神電車との乗り継ぎ停留所にもなっている。
また、停留所名の通り、十日戎には西宮戎神社への最寄り停留所となり、
十日戎の期間中には大勢の利用客がある。
西宮戎を出ると、夙川、森具を過ぎ、翠ヶ丘停留所からは芦屋市に入る。
芦屋川を過ぎ、次の津知停留所付近は阪神大震災での被害が甚大であった地域の一つで、
震災から4年が過ぎた今でもその爪痕が残り、周辺には空き地が目立つ。
津知を過ぎ、森南町停留所からは、いよいよ神戸市に入る。
かつて、この停留所からは、すぐそばの甲南山手サティへの買い物客、
従業員などの利用者も多かったが、震災による周辺の人口減に加え、
JR神戸線の甲南山手駅開業により乗客の転移があり、
かつてほどの利用者はなくなっているようだ。
甲南学園前停留所は、その昔、JR線沿いにあった甲南学園(甲南女子中・高校)の最寄りの停留所で、
女学生の利用も多かったようであるが、甲南女子学園が移転した現在でも「甲南学園前」を名乗ったままの停留所である。
しかし、停留所の名称変更予定はないのだろうか・・・。
この甲南学園前停留所から、バスの運賃は神戸市バス調整運賃区間となり、これまで210円の初乗り運賃が、ここから200円となる。
住吉川を渡り、JR住吉駅前から阪神御影駅北を過ぎるとグリーンボディーの神戸市バスとすれ違うことも多くなるが、
ライバル視しているかの如く、お互いの運転手は無視し合った間柄。
大石川を過ぎ、西灘で阪神の高架をくぐると、岩屋交差点で国道43号線と合流し、
急に道幅が広く交通量も急激に増える。三宮まで、あとわずか。
敏馬(みぬめ)停留所の南側一帯には、震災復興住宅などが立ち並ぶ神戸東部副都心「HAT神戸」があり、
入居者の増加でバスの利用者も増える気配もある。
そしてバスは三宮駅前に到着し、ほとんどの乗客がここで下車するが、
バスはフラワーロードを左折し神戸市役所の前を過ぎて南進、
税関前交差点で左折して阪神電鉄自動車部神戸営業所のある神戸税関前に到着する。
阪神尼崎から神戸税関前までの所要時間は70分前後(時間帯によって若干違いがあり)。
この区間を通しで乗る乗客は、当然のことながら皆無。
【運行状況】
朝ラッシュ時は、おおむね10分間隔、昼間から夕方にかけては12分間隔で運行されている。
この路線、距離が長いゆえに、国道2号線で頻繁に起こる交通渋滞によって定時運行ができないため、
ダイヤの乱れは日常茶飯事で、渋滞は平日の朝と夕方、土日の午後・特に夜間が特に酷く、
30分以上の遅れが出てしまうこともある。ダイヤの乱れをカバーするため、
随時、臨時便を出して時刻表通りの運行を確保する努力を行っている。そのため、団子運転になったりと、
結構コストがかかる路線のようであるが、大幅減便・区間短縮などは昭和42年の路線区間短縮以来、
目立った改革は行われていない。
【尼崎神戸線の歴史】
昭和3年、阪神電鉄など、地元有志によって阪神国道自動車株式会社が設立され、
昭和4年4月1日、大阪上福島〜神戸滝道(現在の三宮国際会館付近)が開業。この路線こそが、
現在の尼崎神戸線のルーツであり、元になった路線である。
阪神国道自動車(以下、阪国バス)は、大阪と神戸とを直通する唯一のバス路線であり、
阪国バスとして阪神間では親しまれていた。
その後、昭和7年には宝塚への新路線開設、その直後には梅田新道への乗り入れをはじめ、
さらに支線網を増やしていったが、第二次大戦によって路線が荒廃していたため業績不振に陥り、
昭和24年、阪国バスは阪神電鉄が買収して阪神電鉄の直営バスとして戦後、再出発。
昭和28年には大阪内本町バスセンターへの乗り入れをはじめ、戦後は着々と利用客を伸ばしていたものの、
昭和40年代以後、自動車の普及によって沿線でしばし交通渋滞に見まわれ、
定時運行が確保できなくなってしまったこともあり、昭和42年には40年近く大阪と神戸とを連絡をしていた路線を
尼崎〜神戸間に短縮してしまった。
その後は昼間10分間隔によって尼崎〜神戸間を運転していたが、阪神大震災により数日間運休。
直後に阪神尼崎〜阪神西宮間で運転を復活、1ヶ月後には阪神尼崎〜甲南学園前までを復活したが、
国道2号線の交通渋滞で定時運行ができず、苦慮していたようである。
震災から半年近くが過ぎた頃には、阪神尼崎〜阪神西宮間、JR西宮〜神戸税関前間で分割しての運転によって全線が復旧。
このままこの分割形式で運転が続けられるのかと思いきや、震災の翌年3月20日には、阪神尼崎〜税関前間の
直通運転を昼間12分間隔で再開した。
直通運転再開後の乗客は、震災前と比べるとずいぶん減ってしまったものの、
まだまだ地域の重要な足として活躍し、現在に至っている。
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【運転本数】
運転区間 | 運転本数 |
平日 | 土曜日 | 休日 |
阪神尼崎〜神戸税関前 | 往路71 復路70 | 往路71 復路70 | 往路67 復路68 |
阪神尼崎〜阪神西宮 | 往路 3 復路 4 | 往路 3 復路 4 | 往路 2 復路 2 |
阪神尼崎〜西大島 | 往路 3 復路 2 | 往路 3 復路 2 | 往路 1 復路 ?? |
阪神尼崎〜尼崎浜田車庫前 | 往路 1 復路 1 | 往路 1 復路 1 | 往路 3 復路 ?? |
尼崎浜田車庫前〜神戸税関前 | 往路 5 復路 5 | 往路 5 復路 5 | 往路 5 復路 5 |
阪神西宮〜神戸税関前 | 往路 2 復路 3 | 往路 2 復路 3 | 往路 1 復路 1 |
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【運賃表】
阪神尼崎 |
210 | 難 波 |
210 | 210 | 西大島 |
230 | 210 | 210 | 上甲子園・瓦木 |
230 | 230 | 210 | 210 | 西宮戎 |
250 | 230 | 230 | 210 | 210 | 芦屋川 |
250 | 250 | 230 | 230 | 210 | 210 | 甲南学園前 |
270 | 250 | 250 | 230 | 230 | 210 | 200 | 上石屋 |
270 | 270 | 250 | 250 | 230 | 230 | 200 | 200 | 大石川 |
290 | 270 | 270 | 250 | 250 | 230 | 230 | 200 | 200 | 神戸税関前 |
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データはいずれも1999年1月現在。
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